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木村匡也 四谷

「見て考えること」も稽古のうち
   空手と縁を切らないことが大切

「心身を鍛練し…」と我々の道場訓の始めにありますが、私が入門したのは「心」を鍛えたかったからでした。
 私はテレビのナレーションやラジオのDJという「声」の仕事をしていますが、この仕事は時間がとても不規則で、結構ストレスもたまります。朝帰り、昼帰りはザラですし、スタジオにはアクの強いディレクターがたくさんいますので衝突することも度々でした。私にとって現場はまるで、巨大なイライラが渦巻く魔窟のようでした。特に番組がヒットしないときは最悪でした。
 些細なことで腹が立ち、それをいつまでも忘れることができない、いつも精神的に不衛生な状態が続くわけです。ある日、私は《このままではロクな人生にならない! 成熟した大人になれない!》と思い、火中の栗を拾うつもりで極真空手を始めました。まず自分が変わらなければ何も変えられないと考えたからです。
 とは言え、スポーツ経験もほとんどない私が、30代にあと一歩という年齢で始めたので、ひょっとして稽古についていけないのでは? と思っていましたが……もう、ついていけないどころではありませんでした。
 長年、酒とタバコの不摂生にどっぷり浸かっていた肉体は、悪魔祓いのように「ギャー」と悲鳴を上げ、汗と共に体内の毒素がヘドロのようにボタボタと流れ落ちる苦行でした。心を鍛えたかったといいましたが、極真の稽古は文字通り「心身を練磨」するのでした。看板に偽りナシです。「社会人のしぶとさを見せねば!」と若い人たちに必死でついていきました。オッサン魂です。
 大人の狡さかもしれませんが、経済的に少しは余裕があったので、空手に関する雑誌、本、ビデオは片っ端から買いました。筋肉痛がひどくてへこたれそうなときは、これらを見てバンテリンを塗って「よーし、またやるぞ」とガッツを燃やすのでした。特に大山総裁の著書、ビデオには価値観がグラリと来るほど感銘を受けました。
「勇気を失うことは自分を失うことだよ君たち!」と熱く語られる総裁の講話を聞いた時は、脳天に落雷がガーンと落ちたくらい衝撃でした。
 社会人の道場生の方々は時間がない体力が続かない、などの悩みを抱えることが多いのでしょうが、道場に顔を出さないときはこれらの「見て考えること」も稽古のうちと思って、できる限り空手と縁を切らないように努めることも大切だと思います。
 タバコもズバッと止めました。ケンカも不思議としなくなりました。総裁の書いた本を読んで涙しながら稽古しました。
 この度やっと3度目の挑戦で黒帯を許されました。正直言って感激です。黒帯を頂けることがこんなにも嬉しいことだと、ぜひ皆さんにも体験してもらいたいです。やり遂げてください。
 身体はもちろん、心も強くなります。

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